2024年5月 県会長あいさつ

過ぎ行く春が惜しまれる頃となりました。ゴールデンウィークも後半となり、皆様方は仕事に家庭にといつもより忙しくされているのでは、と思います。

さて、私は先月、大阪市倫理法人会の経営者の集いにて、「法人レクチャラー」として初めて事業体験報告を致しました。ここでは、自分が経験した苦難を倫理法人会での学びによっていかに克服し、会社の業績を上向きにしてきたかを報告しました。

この「法人レクチャラー」としての事業体験報告については、実は半年以上前から準備を始めていました。準備をするということが何を意味するかと言いますと、自らが犯した過去を振り返り、反省し、二度とすまい…と心に刻む繰り返しの連続なのです。自分では覚えていないことも多いので、正直に答えてくれる近しい人に自分の愚行をたずねるたびに、慙愧にたえない、顔向けできないことが芋づる式に出てきました。

飲酒運転による道路交通法違反、部下や同業他社の方を怒鳴りつけるモラハラ、店や郵便局、銀行で暴れる威力業務妨害罪、女性に対してのセクハラ行為や発言など、覚えていないことも含めて数え切れない程ありました。

愚の骨頂とはまさにこのこと。そして「なかったことにしたい」と願う自らの卑怯さに向き合う必要がありました。時には落ち込みが激しく、数日間抑うつ状態に近くなることもありました。それも「罪を犯してしまった自分」への落胆であり、被害を与えた人々への贖罪に至るまでにはそれ以上にずいぶんと時間がかかりました。私はなぜ自分と同じ人間に対して相手の尊厳を破壊する行為ができたのか。相手がどう思うか、どれだけ傷つくのか全く気にせず相手を踏みにじったのか。考えるうちに分かったことは、相手を自分と同じ人間として見ず、「モノ」またはそれ以下としか見ていなかったということです。

 この自分の過去を振り返るという一連の取り組みにより、自分は人間としてどうなのかと問い、少しずつ被害者の方々への申し訳ないという贖罪の思いを持つようになりました。今でもどうやったら償えるのか模索しています。そしてこの振り返りのプロセスにより、地獄、餓鬼、畜生、修羅の四悪趣の生命だった自分が、人界という人間らしさを持つところまで成長できたように感じます。私は自ら犯してきた間違い一つ一つを忘れずに考えをめぐらし蓄積し命に刻んでいきます。また同じことを繰り返さないように。

 さて、今月は、世間で注目されているAIと教養についてお伝えします。AIは、一般的には「人類が実現するさまざまな知覚や知性を人工的に再現するもの」という意味合いがありますが、実際のところ、決まった定義があるわけでもなく、学問では領域横断的に用いられています。今後、人類にとってどの分野においても欠かすことができないでしょう。

AIを取り巻く議論の中に「シンギュラリティ」という概念があります。これは、AIの知性が人間の知性を超えるタイミング(技術的特異点)を指します。

AIは日々進化を遂げており、その中でシンギュラリティが来るのか否かの議論もなされています。「シンギュラリティが来る派」の代表格は、レイ・カールワイツ博士です。2029年にAIの知能が「人類並み」になり、2045年にはシンギュラリティが起こる。その結果、人類の価値観、そして生活が大きく変わり、結果として人間の仕事が機械に奪われたり、人間の身体の一部としてAIが機能したりする、との考えです。これに関して知見を深めたい方は、この考え方の根拠となっている「ムーアの法則」と「収束加速の法則」調べていただければ幸いです。ここで簡単に申し上げますと、ムーアの法則は、経験則に基づいた考えです。それは18か月ごとに集積回路に用いられるトランジスタの数が2倍に増えるということで、半導体技術の目標がそれにあたります。同様にAIもこのように発展してくと2045年にはAIが人類を超えるのではないかと考えられています。また「収束加速の法則」は、新しい技術が発明されることによって、その技術が次の進歩までの期間を短くすることです。技術の発展・進歩が線状ではなく、ある時点を超えると、爆発的に飛躍することが今までもありました。(指数関数と言います)それにより、シンギュラリティは起こるのではないかと予測されているのです。

一方、「シンギュラリティは来ない派」も多くいます。なぜかというと、先ず、AIには学習能力の限界があるという考えです。人間がAIに学習させなくなったらAIの能力はストップします。AIの手綱を握ることで、AIは人間の脅威にはなり得ないと考えられています。次に、AIは永久に進化を続けることが不可能なのではないかという考えで、ムーアの法則に反する意見です、これはNVIDIAの社長、ジェン・スン・フアン氏が述べています。最後に、AIは人類が発展させる以上それを超えることができない、という考えです。また、モラルジレンマも研究半ばであり、安易にAIをどこかしこに放つわけにはいかないでしょう。

2023年にChatGPTが一気に流行りました。皆様の中でも取り組んでいらっしゃる方は多いと思います。それにより人類が行なうよりもずっと速く正確で、作業の量も多くできるようになりました。AIの懸念点であった創造性(歌詞作成、小説執筆、イラストなど)を必要とする作業、コード生成やプログラム作成など専門的な技術ができるAIも登場しています。AIに取って代わられる職業も思ったより多いでしょう。例えば、医者でさえ、受診時に膨大なデータから一番類似した症状を取り出し、それにのっとって処方をすることもできるのです。

AIは人間の生活を便利にする補助的なものです。どんなに素晴しいものが開発されたとしても人間の判断に基づいて、人間の判断でコントロールできなければならないのです。行き過ぎた科学偏重主義に陥らず、モラルを以てAIと共存していくために必要なことは、教養です。教養は知識とは異なります。教養とは、個人の人格形成にとって重要であるのみならず、目に見えない社会の基盤でもあります。にもかかわらず、大学教育において、一時期教養離れを助長する愚策がありました。共通一次試験の際は理系の人でも文系科目を受験しました。逆も然りです。センター試験に変わって、科目数が減り、文系理系の試験に偏りがでてきました。大学でも、教養課程は削られ、即戦力グループと、先端技術グループに分けられ、一部の大学を除き細分化された専門学校のようになっていきました。しかし、学問には学ぶべき順序があります。教養課程(もっと言うと小学生から)は、人間としての素地を作る、教養を身に着ける必要不可欠なものです。現在はそれに気づき始めた大学が教養課程を復活させています。

幸運なことに、私たちは倫理法人会に於いて、一時は忘れ去られた教養課程を含むもっと深いところにある「純粋倫理」を学んでいます。人と人のみならず、人と自然、人とモノなど、様々なつながりを体感しています。そして倫理法人会の役職を受けた皆様は、組織運営の実地勉強をしています。組織運営は、今のAI技術では扱えないのではないかと私は考えています。特に我々の世代に於いて、経営者には人間的魅力やリーダーシップといった人間くさい魅力が最も重要ではないでしょうか。AIは補完する事はできてもAIが代わりに牛耳ることは非常に受け入れがたいと思います。

 また、今後のリーダーシップとはどのようなものかを以前にも書きましたが、今まで重要視されていた「統率力」ではなく、「志」が必要となるでしょう。「志」が大切となれば経営者は信念を持って本気で生きていくことが必要になります。軸を持ち、ブレることなく信念を持った生き方を日々学んでいるのが我々倫理法人会です。

 また我々の教科書である「万人幸福の栞」の第十条「働きは最上の喜び」に書かれているように私たちは「金銭等の目に見える報酬」よりも「働き甲斐等の目に見えない報酬」が大切と考えます。この強い信念と生き方から成る人間力に支えられた「志」はAIでは決して語ることはできないと思います。我々は倫理法人会でこの人間力を磨いております。

 ところで、ゆったりした江戸時代が過ぎ、日本は文明開化を迎え西洋の影響を多く受けました。新しいものが山ほど驚くほどのスピードで入ってきたのです。人々の欲は刺激され欲を満たしたいという欲求に駆られます。しかも、あらゆる分野にビジネスチャンスがあったので様々な産業ができました。多くの人が企業を創立し、現在大企業と言われている会社はこの頃にできたものが多くあります。ざっとくり述べるとこれが日本の近代化でした。

ユダヤ・キリスト教的観点から見た労働とは、旧約聖書の創世記第三章を引くと、人間(アダム)が神との接触を失った為に額に汗して自らの「罰」として与えられる行為であると考えられています。「お前は顔に汗を流してパンを得る。土に帰るときまで」。しかし新約聖書によれば、「労働は新しい意味をもちます。労働は神の創造の業に参画することになったのです。(中略)労働や職業は、人間が自立する道であり、また他者を愛するためなのです」(コリントの信徒への手紙一)。とも書かれています。
一方、日本人にとって労働とはどうであったのでしょうか。一般的な意見としては、勤労気風の高さ、所属集団への強い忠誠心と献身・奉仕精神が特徴と考えられています。この特有の労働観は日本人の伝統文化ならびに国民性により育てられてきました。勤勉性については、神道、仏教、儒教を基に職業倫理と勤労哲学が形成された結果であるという研究があります。また、集団への強い帰属意識は日本における価値体系の価値実現の場として機能しており、集団から受ける恩恵、それに対する報恩の意識に基づいています。これは、共同体のために自己犠牲も厭わない人間性を育てる構造となっていました。私は、日本人の労働観は「働きは喜びであり、生きがいであり、そして自己成長であるべきだ」と考えています。そして仕事は、本来「周囲の喜びのため、誰かの幸せのため、社会を良くするために行なうもの」であると信じています。2022年現在、わが国で「仕事満足度」(ワークエンゲージメント)を感じる従業員の割合はわずか5%だそうです。そして生きがいを感じられなく早期退職したり、この会社にいても成長できないと見切りを付けて起業したりする若者もいます。それは、若者の期待に応えられない私たちの責任でもあります。私の理想とする仕事観や労働観を広く実現出来たら、若者にとっても私たち中高年にとっても、そして話を戻しますが、AI にとってもより良い会社ができると信じています。

また、長々と書きましたが、木々の芽吹くこの時季は体調を崩しやすいそうです。どうぞご自愛くださいませ。

日の出の時刻は日々早くなってきておりますゆえ、このような時にこそ倫理法人会のモーニングセミナーにぜひ一度ご参加ください。

Follow me!