2023年8月 県会長あいさつ

8月初旬、快晴の日々が続き、夏真っ盛りを感じますね。全国的に気温が高いため、皆様方や従業員の方々、またご家族の皆様にも、熱中症には十分お気を付け下さい。

この時期は1年で一番暑い季節だと私は毎年感じています。特に、甲子園の地区予選の山場である7月後半から、原爆の日、そして立秋の8月8日前後までが一番暑いのではないでしょうか。甲子園大会が始まると少し朝夕の暑さが和らぎ、お盆を過ぎる頃には山に赤とんぼが舞う季節となり、少しずつ秋の訪れを感じます。ですから暑さに関しては今からこの半月を乗り切れば良いということになります。

 さて、奈良県倫理法人会も先月は達成式典及び次年度役職者研修と本格的に年度替わりの行事がありました。令和5年度が無事達成で終えることができたことは本当に皆様のおかげであると心より感謝申し上げます。

また令和6年度に向けて役職者研修を開催させていただきましたところ、本当に多くの皆様にご参加いただき、次年度に向け、決意も新たに全力で取り組んでいくことを誓いました。

 さて、何度も口酸っぱく申していることでありますが、物事を成し遂げるには「段取り八分」が重要であると言われます。9月からのスタートを待たずして、着々と令和6年度の「段取り」を様々な角度から進めています。実を言いますと、私の中では既に令和6年度の達成は「ほぼ」見えてきています。
 この「ほぼ」という不確定な部分を取り除く作業を現在検討し、必要な事柄を行なっています。令和6年度が始まる最初の行事である9月8日の年度始め式では、私のヴィジョンを確実なものとして皆様にお話できると確信しております。したがって年度始め式では大いに達成をお祝い致しましょう。
 万人幸福の栞15条には、「信成万事」、信ずれば成り、憂えれば崩れる、とあります。また、予祝といって、あらかじめ祝っておくことによって、望む結果をもたらそうとするとも書かれています。ですので、来る年度初め式は予祝と言えるでしょう。

 さて、今月はAIやChatGPTなど最新技術についての私なりの考えをお話ししたいと思います。ちょうど私が4年前に倫理を学び始めた頃「ホモデウス」と「シンギュラリティ」という言葉をよく耳にしました。「人間至上主義」と「AIなど人工知能と人間との臨界点」についての議論です。
 しかし、その本を読めば読むほど、内容を知れば知るほど、違和感を覚えました。その違和感とは一体何なのか?そんな疑問もその当時はじっくりと考える時間もなく、頭の片隅で気になりつつも半ば放置していました。直観的に確信したことは、それは私が幼少の頃から学んできたこと、大切にしてきた価値観とは絶対に大きく乖離しているということでした。
 その後、私は「毎日倫理」と言われるほど毎日毎日どこかのモーニングセミナーに通い始めました。倫理を1000日(約3年)学んだ頃にその違和感の答えを会得しました。それは明治以降の日本国の変化に依るものでした。

日本国の歴史を振り返りますと、明治維新(政治的なこと)や文明開化(文化的なこと)を通じ、西洋文化や西洋科学が日本に上陸しました。これらは日本国が目指した富国強兵に欠かせないものでした。アメリカやヨーロッパがもたらした西洋文化は、明治政府にとって近代化への道であり、洋風の建物を作り、メディアを通じて「西洋文化が国民の生活を豊かにする」と国民に宣伝しました。また、西洋科学においては、政府が強引にイニシアティブを取って科学技術の導入をはかり、様々な失敗を繰り返しつつも発展をとげ、近代化に成功しました。

しかし、我々日本人には、西洋文明、西洋科学知識といった西洋思想だけではなく、従来からの2500年以上の長年培ってきた東洋思想があります。それは、「儒教、仏教、道教、禅仏教、神道」の五つの思想、道徳観や倫理観であり、日本人の精神性や風土に根づき、息づいた、日本国民の暮らしの源泉となっている「知的資源」です。

西洋思想では、自然は人の手によって支配するものであるという考えがあり、人間中心的な自然観を持っています。そして、「内側」より「外側」に関心の中心が置かれ、普遍性を重視しています。また、キリスト教の影響を強く受けているので、どうしても物事を正義と悪との二分的に区別しがちです。死に関しても、自然の流れで起きた死は、再生されるものだと考えています。例えば、ミイラや巨大な墓地を作り、死を再生させようというのがその表れでしょう。

一方、東洋思想は、先ほど述べた「儒教、仏教、道教、禅仏教、神道」に基づき、自然に逆らいません。自然の力は人間よりも遥かに高く、死は生き物のありのままの姿だと考えていました。また、東洋思想は「外側にあるものもすべて内側(心)の産物」だと捉えます。絶対的な西洋思想とは異なり、極めて相対的で、仏教の輪廻流転の如く、すべてのものが変化するという流動性を重んじます。

この十数年、多くの知識人が東洋文化を見直し、西洋文化との融合を考えています。21世紀の指針は、東洋と西洋の知が融合されることにあるのでしょう。そしてオルタナテイブな第三の思想があちらこちらで産声をあげることでしょう。

 企業に関しても、佐久間象山の「東洋道徳、西洋芸」を現代の企業に生かす時が来ています。例えば、企業経営論として、企業経営の原理原則を東洋思想から、普遍的技術やモジュール化など普遍性の部分を西洋の経営思想から取り入れるということです。

葬祭業に従事して40年。私は「魂」という目に見えない存在と向かい合ってきました。日本人は、「魂」、「霊魂」「霊」をほとんどと言っていいくらい区別せずに使っています。一方、西洋文化の源泉のひとつであるキリスト教は「soul」と「spirit」をはっきりと区別しています。

”sprit”とは、使い方で例をあげると「ホンダ・スピリット」のようなものです。「the part of the person that many people believe continues to exist after death.」つまり、多くの人が信じることが出来る、死後にも存在し続ける亡くなった人の一部」ということです。例をあげればクレドがそうだと思います。

では、”soul”はどうかと言いますと、またホンダで例を挙げますが、本田宗一郎氏の亡き後も、彼の霊魂は社内にさ迷っている。となります。「he spiritual part of a person that most religions believe continues to exist after their body dies.」こちらの意味はちょっとオカルトじみていて、宗教家など特別な人なら信じている、死後にも存在し続ける亡くなった人の霊的」となります。

いずれも、私が向き合ってきた「魂」とは異なります。魂とは、人間の精神的肉体的活動を司る、見えないけど確実に在る存在です。それを体系立てきちんと説明しきれていたか、と言われれば、決してそうではありません。ですから多くの人の前で「魂」について語ることもできませんでした。
 しかし、倫理を学んでから、「魂」を明確に説明できる領域まで来たように感じます。そして、そのことが、今後葬儀社としての経営方針や我々がなすべきことを理解できるようになってきました。

 2020年時点で世界に流れる情報量が44ZB(ゼタバイト)だと言われています。更にその上にYB(ヨタバイト)という単位があるのですが、1YBは1,000ZBで、2040年ぐらいには1YBに到達する見込みだそうです。このスピードには驚かされます。キロ→メガ→ギガ→テラ→ペタ→エクサ→ゼタそして、ヨタ。皆さんはどこまで把握していますでしょうか。外付けハードディスクを持っている人だとテラあたりでしょうか。

1ZBは地球上の砂漠にある砂の数と同じ量だと言われています。どれだけ砂が増えているか想像できましたでしょうか。
 私が言いたいのは砂の数云々ではなく、そのようなコンピュータ―、AIの分野に於いて、人は機械に叶いません。ですから、対抗しようとせず、お願いできる部分はAIに頼めばいいのです。勝てない勝負はしないに越したことはなく、他の分野に目を向けましょう。
 日本は終戦、60年安保、天皇制、民主主義など目まぐるしく変わる中で生きてきました。その中で、教育に於いては、日本が高度経済成長迎えるあたり、昭和35年改訂の学習指導要領を機に基礎学力向上、特に科学技術教育に重点が置かれました。知識偏重教育、詰め込み教育が行われ、おちこぼれと呼ばれる教育問題が社会問題化されました。偏差値重視の「知識」の詰め込み教育で、真の「知識人」ではない、「インテリゲンチャ」をたくさん作ってきました。これは日本に限ったわけではありません。西洋科学に基づいた考え方中心であれば世界中が知識優先主義で来たといえるでしょう。こんな教育環境にあれば、AIに敵うはずがないと私は感じます。
 では人間、とりわけ我々日本人はこれからどうやってサヴァイヴしていくべきなのでしょうか。私は、「目に見えないけど絶対に存在する」ものを大切にすることだと思います。意識とか無意識とか、超意識など、そういった「見えない領域」の分野を学び、自分なりに思考してみましょう。私たちが一人も漏れなく、遠大な理想家、情熱家にして万般に通じた真の教養人。人々を愛し、人々から慕われた指導者としての「教養人」になりましょう。

それにより磨かれる才能の一つに「直観力」があります。それを磨いて磨きぬいて光るその心の部分こそが我々人類の担う役目だと思います。何で磨くか?それは、皆さんが既に持っているこの「倫理」や、道徳心であります。
 ですから、AI等に仕事を奪われる等と怯えている間は、知識偏重教育で育った凡人である証拠です。我々はそのような人ではないはずです。テレビなどに出ている、物事に詳しい「有識者」、「コメンテーター」と呼ばれる人々は掃いて捨てるほどいます。いろんな俳優や芸人がクイズ番組で知識をひけらかし、もてはやされていますが、それはただのエンターテーメント。人々に消費されるだけで何かを生み出してはいません。
 私たちが倫理法人会で学んでいることは、心の在り方、そして得た知識や情報を自分なりの思考や判断基準を習得する鍛錬です。手に入れた「素材」をどう活用するか。それを考える手法を学びます。そして、自分自身の中にある固定観念に気が付き、自身の価値観をアップデートさせるための発想や能力が身に付いていきます。リベラルアーツの教育と似たところもありますが、純日本産で、このような学習ができる場は、倫理の他には絶対にありません。

 さて、もう一度、西洋思想と東洋思想の話をしましょう。上記のとおり、西洋思想は自然と対峙し征服する思想である一方で、東洋思想は自然と共生し、山や川、草木や動植物など万物一切に霊的なものを見出す生き方をしてきました。仏教でも草木成仏といって、草木でさえ成仏できると考えていました。

また、あるサイトで「目の前の出来事はあなたの周波数を表している!?」という興味深い記事がありました。目の前の出来事は自分の周波数で出来ているとのこと。だから自分がいるその現実の周波数が好きでなかったら、方向転換をして自分の物の捉え方を変え、思いや感情をコントロールすることで変わることができる。人は周囲の出来事や環境をコントロールできない以上、変えることができるものを変えるほうが生産的だし、体験も変わってくる。

さらに、自分の周波数を整えることもできるらしく、全ての物や人の違いは「周波数」でできているとのこと。「違い=周波数の違い」だとしたら、「何か」になりたい人は、「そのなりたいも物の周波数」になればいい。 逆に、なりたくないものがあるなら、「その周波数」にならなければいい。のです。かなりスピリチュアルな話に聞こえてしまうと思いますが、もう少し続けさせて下さい。周波数は感情で測る事ができます。先ほど申しましたように、周波数と感情は連動しています。ですから、今の自分の気分をじっくり感じることで、自分の周波数を知ることが出来ます。苦境にあれば、どんな方法でもいい。周波数(気分)を変えることで周波数は「苦境の周波数」から外れるので、必然的に現実も変わってきます。これらは、魔法みたいですが、その構造は、「見える世界は、見えない世界の原因の結果」というだけの話です。見えない世界である心が荒んでいる、諦めている、負けているなど、負の感情に支配されていると、現実の世界もその通りになってしまうのです。心の持ちようとよく言ったもので、なるべくネガポジの特訓――女子高生が考えた「ネガポ辞典」がおすすめです。ネガティブな言葉を瞬時にポジティブに変える特訓ができます――をしていきましょう。

さらに言えば、あなたが見る結果は、持っている振動数で決まるとも言われています。振動数とは、意識レベルやアセンション(大きな変化)などと言えるでしょう。人や物には、量子力学において振動している粒子があります。この振動の力とは、人と人や人と物が触れ合うことで、互いに共振しあうことです。そして、『繋がり合う』という現象が起きております。その際に怒りや憎しみ、罪悪感などを心に持っていれば、気づかないうちに自らの振動数、意識レベルを落として、現実の結果に表れます。皆様に、自分が幸せだと感じる方向へ意識を変えること(振動数を変えること)の大切さに気付いていただきたいと願っています。

私は、倫理の実践を通して、自分の思い描く世界を作っているのは、自分の精神だと考えるようになりました。「思考は現実になる」と言ったら簡単ですが、頭で考えたことが今すぐ現実になるという意味ではなく、今この瞬間自分の脳内で設定されている事柄が現実として既に目の前に現れている。という意味です。その現実をどう解釈し捉え、選ぶか、それは私の手にかかっているのです。実はそもそも現実は一つではありません。どういうことかと言うと、「好きなタバコが完売」という一つの事実に対して、人の数だけ解釈があり、現実があります。「タバコ吸いたかったのに!」とがっかりするか、「今日は禁煙できてよかったな」と思うか。他の考え(事実)もあるでしょう。

実は、どの現実を選ぶかは各々が無意識に決めています。スコトーマの原理という概念があり、人が見ている現実は自動的に取捨選択されています。例えば、薄毛を何とかしたい人は電車の広告でそれ以外の広告は目に入りません。

では、無意識に働きかけ、より良い現実を見るにはどうしたら良いでしょうか。それは、現在は見えていないスコトーマの部分を意識的に認知して、自分にとって好ましい現実だけを選べば良いのです。これら一連の作業により自ら現実を選んでいくことができます。この方法は、心療内科等で行われている認知行動療法に近いものがあります。

 しばらくややこしい話が続いて申し訳ありません。ここからはシンプルに参ります。とにかく倫理の実践をするにあたり、日々、心を磨き、身体を整え、暮らしも整えていくことが肝要です。日々の暮らしを整えるということは、毎日を丁寧に生きるということなのですが、もっと言えば、流されるだけでなく、意識的に生きるということです。特に、今この瞬間を意識して生きることでより良い現実の選択へ繋がっていきます。

また、先ほど魂の話をしましたが、霊主体従で生きることが大切です。霊主体従とは、霊や魂などの見えない世界が現実世界に先行するということです。現実世界は霊や魂などの見えないものに従うだけなのです。これだけ、スピリチュアルな要素の入っている話をすると、「めちゃくちゃ怪しい」と思う方もいるかもしれません。でも、霊や魂というのは決して怪しいことではなく、皆さんが今まで生きてきた中で自然と持ち合わせた神性(心、精神)、仏性(一切衆生にそなわっている仏の性分)、命、真心、本当の自分、超意識(無心、無欲になり自分を超え宇宙とつながっている存在)、無欲、無心、ゼロ・ポイント・フィールド(何もないところに全てがある、量子物理学の見解は仏教の般若心境でいう「色即是空」にあたる)、サムシンググレイト(偉大なる何者か)などと言われているものです。

 最後になりましたが、年度の終わりから次年度の初めのこの時期は、事業決算期同様、「夜明け前」のイメージを強く抱きます。暗闇の頃から山の端が少しずつ明るくなり始め、鳥たちの囁きが聞こえ、風の向きや水の流れる量が変わるなど、様々なことが少しずつ変わり始めます。年度が移るということは、このように小さな変化を通じて生まれ変わるようなものです。
 次年度の始まりは目前です。そしてその次年度もまた明るい未来に違いありません。この心地よい夜明け前から朝の時間を是非一緒に楽しみましょう。倫理法人会では好奇心と向上心に溢れた多くの仲間が、朝のこの時間から学び、出発して昨日よりもより素晴らしい一日を過ごしています。ぜひ皆様もお気軽にモーニングセミナーを見にいらしてください。まずはお問い合わせからでも結構です。それぞれのペースで、前へ、前へ前進して参りましょう!

追伸
今期最後の会長挨拶の作成に当たり、いろいろと考えていることを書かせていただきましたが、まとめきることができていないようです。誠に申し訳ありません。
また、来期以降も同様に書かせていただくかどうかは検討中であります。とりあえず1年間ありがとうございました。

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